応用経済時系列研究会(SAETA)/東京リスクマネジャー懇談会(TRMA) ジョイントディスカッションレビュー

「『ブラック・スワン』とどう向き合うか?〜金融危機後のリスク管理」

2009年11月13日(金)18:30〜20:30


 2007年5月に出版されたナシーム・ニコラス・タレブ著「ブラック・スワン」は、著者自身はタイミングを予測したのではないと思われるが、その直後に発生した金融危機を予見した書として米国において半年足らずでベストセラーとなった。今回は2009年6月に発売された同書の日本語版訳者の望月衛氏による同書の概要に関してのご講演の後、野村證券の進藤久佳氏による司会で、望月氏、PwCアドバイザリーの原誠一氏、モルガンスタンレー証券の柳川洋氏、そして統計数理研究所の川崎能典氏によるパネルディスカッションへと移行した。
金融関係者に限らず多くの人にとって将来の不確定さ、起こりえる事象の確率とその推定は、実は重要であるにも関わらず、ともすれば軽視されがちである。同書はそうなってしまう人間心理、社会情勢について数多く指摘しており、非常に示唆に富むのであるが、まさに人間心理的に軽視される問題点であるからこそ読み解くのは容易ではない。訳者の望月氏自身による解説を聞いて、やっと納得できた点も少なくない。
パネルディスカッションでは、同書訳者、会計事務所のリスク管理者、トレーディングの現場を知る者、統計学研究者という様々な視点から討論が行われた。なおパネルディスカッションにおけるパネラーの発言は、いずれもパネラー個人の意見であり、所属組織の公式見解を示すものではない。またディスカッションの目的は、必ずしも一つの結論に達することではなく、聴衆の理解を深めることでもある。従って本レビューでは、聴衆の一人としてのレビューアーが理解したことを整理することとする。内容に間違いがあれば、それは本レビューアーの責任である。


 書名となっている「ブラック・スワン」は次のように定義されている。発生する前には、「可能性はゼロではないが、そんなに可能性の低いことをいちいち全部気にしていては何もできない」として無視されており、だからこそ対策がなされず影響が大きいのであるが、いざ発生してみると、「予測出来た筈なのになぜ対策しなかったのか」と、予測しなかった人が非難されるような出来事である。今回の金融危機の引き金となったサブプライム問題も、今となっては「プライムでローンを組めないほど信用度が低い人が、さらに信用度の低さに応じた高い金利でローンを組めば、返済できないのは当たり前」ではあるが、住宅価格が上がっている間は`現実に’問題にはならなかった。タレプはこのようなことを「これまでに観測された`白鳥型の鳥’(swan)が全て白かったことを根拠に、黒いswanが存在する可能性を無視する」ことに喩え、「ブラック・スワン」と呼んだ。
 ブラックスワンが大きな問題を引き起こす理由は、その発生可能性を`理論的には’否定できないにも関わらず、`実際に発生していない’時点では対策することに対する理解が得られ難いことにある。タレプはブラックスワンの例として911テロを挙げている。ハイジャック対策として、旅客機のコクピットのドアは客席側からは開けることはできない規則、構造にしていれば911テロは起こらなかったであろう。しかし、まさに起こらないからこそ、そのような規則の必要性は理解されず、恐らくその規則は遠からず撤廃されていたであろう。最近の航空機の事例としては、2つのエンジン両方に鳥が衝突し停止した旅客機が、パイロットの優れた技術によりハドソン川に無事着水した「ハドソン川の奇跡」が挙げられる。乗客の命を救ったパイロットの技術が称賛されたのであるが、パイロット、あるいは航空管制官が鳥の多いことを理由に離陸を先延ばしすることで鳥の衝突を避けたとしても、乗客の命を救ったことに変わりはない。しかし後者が前者のように称賛されることはなく、客を無駄に待たせたとして非難されたであろう。

 このような、危機に対する対策の軽視は金融市場においても発生していた。背景としては、金融工学により、一つのリスク資産を元にして、ハイリスク・ハイリターンな証券からローリスク・ローリターンな証券まで様々な金融商品を作ることが出来るようになったことがある。商品のバリエーションが増えたことにより、需要、すなわち己に許容できるリスクをとることでリターンを得ようとする資金供給が増えた。このように流動化が進んだことで、マーケットが拡大し、信用創造が進んでいた。
 リスクをとることでリターンを得ようとする資金供給が増えたことにより、リターンに対する競争が激しくなり、同じリスクを負うことにより得られるリターンは減少していた。しかし、ここがまさにブラックスワンの特性であるのだが、`実現していないリスクの軽視’によりレバレッジを高めることで、リターンの減少を補っていた。そのため、たった一羽の黒い白鳥の飛来であっても、大きな被害が発生しうる状況にあった。

 今回の金融危機の原因とされる金融工学であるが、具体的にどのような問題点があったのだろうか。その一つに、主観を客観的に見せかけることが出来る点がある。当初の目的は、モデルに対して適切なパラメータの値を与えることで、例えば損失の発生確率、損失額の期待値を求めることが出来るのだが、主観的、あるいは`実現していないリスクの軽視’による希望的な損失の発生確率が先にあり、モデルが計算する「損失の発生確率」をそれに合わせるためにパラメータを調整することで、主観的な値をあたかも客観的に正当性が保証された値であるかのように見せかけることは難しくない。例えばボラティリティひとつをとっても、大きく変動した時には現在からどれくらい前まで遡ってヒストリカルボラティリティを計算するかによって全く異なった値になる。
 また、モデルの導出においては様々な仮定、近似が使われており、仮定が`ほぼ’妥当であったとしても、現実に厳密に一致するものではない。モデルを導出する側がそのことを理解していても、モデルを利用する側が理解していない、あるいは`楽観的な推測’の正当化のために無視することもある。基本的な例として、中心極限定理は有限サンプルに対してはあくまで正規近似に過ぎず、正確に正規分布に従うわけではないことは、統計学研究者にとってはあたりまえでも、統計学のユーザーは必ずしも把握していない。次の例題を考えてみよう。
問:これまでswanを1万回観測したら1万回すべて白いswanだった。swanの中の「黒いswan」の比率を信頼水準99%で推定しなさい。
点推定値は0であり、単純に正規近似を用いるなら観測値の標準偏差も0なので、0±0、つまり黒いswanの比率は0と推定されてしまう。定義に戻って計算すれば信頼区間は0〜0.05%、つまりこれまでに観測されたswanが全て白であったとしても、黒いswanの比率は0とは限らない、という答えが得られる。

 パネルディスカッションでは、以上に述べた理論面だけでなく、理論と現実のマーケットの相違、そして相違が生じる原因が、喩え話も交えて分かりやすい説明がなされた。ここからは幾つかのトピックに関してそれらの説明を紹介する。

 リスク管理の指標の一つとしてVaR(Value at Risk)が用いられている。VaRは元来、現在のポジションのリスクを、大雑把で良いから数量的に把握するために使われ始めたものであり、現在のような厳密なリスク評価を意図して開発されたのではない。基本的な正規分布ですら理解していない金融機関の役員がいた場合、「この方法での損失は、過去これくらいでした」というヒストリカルな説明しか出来ない。
 VaRはヒストリカルデータに基づいて計算する、つまりバックミラーを見ながら運転するようなものであって、前方を探知するレーダーではない。バックミラーも運転には必要ではあるが、それを見るだけでの運転は危険である。道が狭くなる、路面が悪くなるとスピードを落とすのは当たり前。VaRを過度に信頼して、それ以外の情報に注意しなくなることが危険なのは言うまでもない。

 黒いswanの存在確率、つまり`実現していないリスク’は何故軽視されるのか。トレーディングの現場においては期待値、分散だけでなく、勝率も重要な要素となる。
例えば自分の計算では、100分の1の確率で200万円になり、100分の99の確率で無価値になるオプションがあったとする。自分の計算では、このオプションの期待値は2万円なのだが、市場では、多くの人が「200万円になる確率は200分の1しかない」と考えていて1万円で売買されていたとしよう。もし自分の計算が正しければ、理論的にはこのオプションを1万円で買うことは正しい。期待値の半額で購入できるし、損をしても1万円に過ぎない。
ところが金融機関のトレーダーならば、この取引はすべきではない。まず、大数の法則が働くほど、同様の取引が出来るとは限らない。100分の99の確率でこのオプションは無価値になるので、数回の取引では購入したオプションの全てが無価値になる、つまり損を繰り返す確率は高い。200万円になる確率が、皆が思っている倍であったとしても、それが実現する前に、繰り返し損をした無能者としてクビになる可能性は高い。タレプのように自分のファンドなら、100回150回と買い続けることで200万を得る確率は高いが、金融機関の雇われトレーダーではそこまで待って貰えない。雇われトレーダーにとっては、待ってもらえる間に利益を得るために、それなりに高い勝率が必要となる。

ジョン・メイナード・ケインズの「美人投票」論について。他のトレーダーが見落としている、あるいは知っているけれど無視しているリスクを正確に把握し、それに基づいて適切なリスクをとったトレーダーの成績と給料を考えてみよう。
ブラックスワンが飛来するまでは、他のトレーダーよりもローリスク・ローリターンなポジションをとっているため、儲けは少ないであろう。しかし一度ブラックスワンが来れば、他のトレーダーが軒並み大損している中、自分一人儲けることが出来るであろう。
ではその成績に見合った給料を得ることが出来るか?残念ながら、他のトレーダーが軒並み大損している時は給料の原資が少ないのでどんなに儲けても給料は少ない。あるいはブラックスワンの飛来前、他のトレーダーが大儲けしているのに少ししか儲けられなかった時点で解雇されているであろう。
 即ち、リスクを正確に把握するよりも、他の多くのトレーダーがリスクをどのように把握してリスクテイクするかを把握した方が儲かるのであり、その意味で「誰が美人なのか」を推測するのではなく、「他の多くの人が美人と思うのは誰か」を推測する美人投票である。

 ここまでに、数値によるリスク管理の問題点が論じられてきたが、数値によるリスク制限ではなく人としてのリスクマネージャの存在意義は何であろうか。
 一番重要な役目はFirefighter、つまり問題が発生する前からリスク要因を見つめているので、対策する人としても適任であるということである。そして、恐らく冗談交じりであると思われるが、Scapegoat、つまり問題が起こったときに責任を押し付ける役目という話もあった。リスクマネージャの業績評価は、何かの問題が生じたときに一気に大きなマイナスになるという意味で、プットオプションのショートに喩えられるであろう。プットのロングポジションを持つためには、誰かがショートしなければならない。



 最後に、個人的に最も新鮮だったのが、ロスカットと仮説検定の類似性に関する説明であった。ロスカットとは、損失がある程度大きくなったら、その取引を行う基となった考え方が間違っていると判断して、取引を終了し、損失を確定することでそれ以上の損の拡大を防ぐことであり、仮説検定とは、ある仮説が正しいならば発生する確率が低く(例えば5%未満)、その仮説が正しくないならば発生する確率が高いことが実際に発生したならば、もとの仮説が間違っていたと判断する(棄却する)ことである。
 ロスカットルールが有効であるのは、リスク資産の過去と将来の値動きに正の相関があり「損失が生じたポジションの今後の期待リターンが負であること」が示された場合だけであり、機械的なロスカットに合理性はない、と思っていた。しかし、「評価損の発生」がポジションを建てた理由を棄却すると考えるならば、「損失が生じたポジションの今後の期待リターンが正である」ことを示せない限り、そのポジションが他の資産、他の場面と比較して大きなリターンをもたらすとは期待できず、持ち続ける理由はない、と考えることが出来る。

 様々な立場、視点からの議論が行われ、非常に有意義なパネルディスカッションであった。パネラーの皆さま、司会者に深く感謝する。また書籍「ブラック・スワン」は上下巻に分かれそれなりの分量はあるが、私の拙い要約では書ききれないほど示唆に富んでいる。ご一読をお勧めしたい。

以上

執筆・正会員 笛田 薫(岡山大学大学院環境学研究科,応用経済時系列研究会・理事)


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